一体何人の歯医者

人生で人は何回歯医者に行くのだろう。平均回数をとってもきっと私はかなりそれを上回っていると思う。物心ついた時から家の近くにあった「あまみや歯科」に通っていた。あれはおそらく幼稚園の頃だろう。下が文房具などを売っているお店、そしてその二階が歯医者さんになっていた。小学生智能護膚になり、お小遣いでロケットペンシルを買ったのを覚えている。そして今でもあの黒い革の診察台とそのライトを覚えている。通称「アマミヤさん」に上がる「かね」で出来ている隙間のある階段から、一階の突き出した屋根を見ては、そこに座りたいな、と思っていたのも覚えている。

その後、「アマミヤさん」から卒業し、小田急デパートに入っていた名前もそのままの「小田急歯科」に移った。電車通学していた小学生だったから、おそらく学校帰りに寄れると言うのが変わった理由だったのだろう。新宿にある、しかもデパートに入っている歯医者さんが子供心にお洒落に思い、そういう意味では「今日、歯医者さんに行くんだぁ~!」と自慢をしたくなるものの、行ったら行ったで先生の手を焼かせる麻酔も治療も怖がる子供だった。おばあちゃんと一緒に行った時にはその後に、その階下のレストラン日常肌膚保養街に入っていた不二家でパフェをご馳走してもらえるから、それが楽しみで歯医者には喜んで行った。麻酔のかかった開けるのがやっとの口で、必死にパフェを食べていた。

アマミヤさんから始まって、今まで一体何人の歯医者さんにお世話になったことだろう。引っ越さない限り、美容院同様に歯医者もそうそう変わるものではないのかもしれないが、引越しを何度もしているためだろうか、歯医者もそれに伴い変わって行った。

もちろん2年弱しか滞在していなかったチリでも歯医者に行き、そしてここアメリカでも。アメリカにはまだ人生のうちの三分の一弱しか生活していないが、今や日本で通っていた回数よりも多くの回数を通っているかもしれない。先日も根幹治療を行い、その後の処理でも今、通っ抗衰老專家ているところだ。

分類: 愛と美しさ 發布時間:2016年07月15日