サフランライス

私達が訪れる度に、スースーは一か所だけ黄色く染まったサフランライスを必ず炊いてくれる。炊いてくれるというよりは、日本人にとっての白米と同様に「必ずなければならない」ものなのかもしれない。白米よりもあのご飯に私が強く魅力を感じるのは、白いご飯の中に一か所だけ染まった鮮やかな智能護膚黄色が目を惹くからなのだろうか。
蒸し終わってから混ぜ、ところどころに散らばった黄色が、きちんとしていないのに、このご飯はあれが「完璧」な形なのだ。

日本の真っ白なご飯は世界に誇れる「ごはん」だと思う。炊きあがった時のあの香り、そして艶。思い出すと郷愁と共に、もれなくその他の和食の映像が思い出される。湯気の立つお味噌汁、お漬物、お魚、煮物、、、、。他の国のお米とは違い、透明感のあるこの香り、そしてその科技護膚佇まいは、「とても日本的」だ。そう、きちんとしている。

15年以上前にアメリカに赴任し、初めて日本を第三者的客観的立場から眺めることが出来た。その当時はアメリカかぶれの観光客気分だったから、アメリカのことは客観視することが出来ず、ただただ「アメリカ」を楽しんでいた。そして、チリに渡り、またアメリカに戻り、アメリカ生活が長くなるに従って、日本同様にアメリカにいながらもアメリカのことをやっと客観視出来るようになった。観光客ではなく、住人として、冷めた目で見ることが出来るようになってきた。日本の良さ、アメリカの良さ、日本食の特徴、アメリカ食の特徴、それぞれの良さ。

私は料理が好きだ。作るのも食べるのも見るのも好きだ。料理に関する本や番組であれば、はてしなく見ることが出来るだろう。料理雑誌をパラパラとめくっていると、近年では料理に護膚專家国境がなくなりつつあるのを感じる。日本でも「アメリカ的」なレストランが増えているように、こちらでも和素材を使った料理や、それを出すレストランが増えている。しかし、同じ名前を持つ料理でも土地が変わると、やはりその土地の文化の色が現れ、アメリカの和食は和食になり切れず、そして日本のアメリカ食はアメリカ食になり切れていないように思うのだ。

分類: 愛と美しさ 發布時間:2016年07月14日