人生のお楽しみ

私にとって、独り言を言っていたら振り向いてくれたことがとてもうれしいお気に入りの思い出だった。私はあのとき何を考えていたのだろう? きっと、今と変わらない。それを大酒をかっくらいながら思い起こす。あの頃は良かったと。場所は中学校の図書室。三人組の女子の後ろの雲芝 功效席だった。私は気分が良かったのだろう。

今考えると場違いにもほどがあるでかい声で独り言を言った。そしたら、その美人たちが振り向いた。あのとき恥ずかしさと同時に何か気分の良い感慨を得たのを憶えている。きっと、今と変わらない。そう、何か知らないが良い思いがしたくて生きてる。心底良い思いが。こう言うと次に不平不満の出番だと思うだろ? 違う。

私は今日良い思いをした。それがたとえビールを買うのにコンビニのレジで順番待ちをしていた自分と同じ無精ひげを生やしたおっさんに順番を譲ったことだったとしても、誰も揶揄してはならない。いいや、誰がさせるものか。クリニックの受付嬢やホームセンターやスーパーのレジ打ちの女の人たちに何か一癖あって、それを楽しむのが私の常になっているのはここだけの話にしておいてくれ。診察室に入ると後ろで「お座りください」と声がする。カウンターの向こうで申し訳ないくらい会釈する。「箸はどうしましょうか?」と訊かれる。機械的ではあるにしてもちゃんと「ありがとうございました」と言われる。

「またお越しくださいませ」なんて言われることもある。午前3營養素時半に玄関ベルが鳴った気がしたがどう考えても迷惑な訪問客だ。その朝方、私は夢を見た。母方の伯父が自動ホッチキス機で私の耳にいくつもの針を打ち付けるのだ。ホッチキスの針はさながら不必要にたくさん付けてしまったピアスのようだ。母や伯母が「あーあ」と言っている。私は泣きながら訴えた。「僕はこんなにおじちゃんを愛しているのに!」それは少なくとも本当だった。今日の夢は二本立てだ。少女がジブリアニメのようなノリで大きな廃屋で宝探しをする。町は高齢化が進みジジイばかり。廃屋の見取り図を片手にジジイに訊く。

「この家はここですか?」「ああ、管理人さんが居ってじゃわ」階段を上がるとそのDream beauty pro 好唔好管理人さんとすれ違う。「君がここに来たことによって家は逃げてゆく」「え?」気付くと更地にたたずんでいた。──夢か現実か、考えるだけ無駄である。だとしたら、人生は楽しむほうがお得ってもんだ。寝床で流す涙でさえ、欠伸だよって。

分類: 健康文化 發布時間:2016年05月24日